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劇団阿修羅第9回公演「12人の怒れる男達」

特別講演 講師 伊佐千尋(作家)

「司法を市民の手に」
伊佐 千尋
1
中国では古代、犯罪が起きると、毒蛇を壺の中に入れておき、容疑者に手を入れさせて、無実であれば神の加護があって蛇は噛みつかないが、有罪であれば噛みつく、という罪の判別方法があったそうです。
わが国にも、上代、「誓湯(くがだち)」という慣行がありました。裁判が難航した時、容疑者を神に誓わせて、熱湯の中に手を入れさせ、正しい者の手は爛れず、心邪(よこしま)な者はその苦痛に耐え られず、手が爛れると考えたのです。
 超自然的な存在の意志をうけて罪を判 定する神明裁判、あるいは神判と呼ばれた同じような慣行がヨーロッパにもありまし た。
 陪審裁判は、この神判に関係があり、 その起源は遠くノルマンディーの時代にさかのぼります。
 今日、みなさんがご覧になるのは、アメリカの陪審裁判の舞台劇ですが、陪審制度は日本では馴染みが薄く、不勉強な学者 の偏見、不正確な新聞・雑誌の報道から、一般にはかなり誤解されています。
 この優れた司法制度について、予めその起源や成り立ちをかいつまんでお話し、僕が自分の陪審体験をもとに初めて書いた 小説『逆転』にふれつつ、陪審制の根底にある理念へ理解を深め、劇をより一層楽し くご覧になっていただきたい−−というのが劇団からの注文です。
 古代、紛争が起きると、三つの解決方法がとられました。
 第一は、当事者同士に闘わせて、真実 は勝ち残った側にありとする、即決裁判です。
 第二は、毒蛇裁判や誓湯と同じ考え方で、被告人にいろいろな難行苦行、肉体的苦痛を強いて、その試練に耐え抜けば無実であり、無実であれば神が被告人を苦痛から守ってくれるものと信じたのです。
 第三は、他人の誓言・保証に基づい て、犯罪容疑者に無罪を宣告する方式です。
 選抜されたコンパゲーターと呼ばれる 12人の村人たちは、訴訟に提出される証拠物件などの審理には関わらず、単に被疑 者が無罪であるとの宣誓を行うだけでした。
 これが陪審員の原型で、ノルマン征服 の後、英国において次第に高度な制度に発展し、改良されてゆきました。 
 一方、ゲルマンのフランク時代には、 事件が起きると、村人たちに宣誓させて、犯人を指名させる慣行がありました。
 これも、先程の三つの裁判方式ととも にイギリスに伝えられ、コンパゲーターによって無罪を宣告する方式と一緒になり、 いわゆる起訴陪審の原型を形作ることになったのです。
 初めのうちは、この起訴陪審で審理に まわされた被疑者は、神判により、苦行に耐えて身の証を立てない限り、有罪とされ ました。
 さすがに神判は、13世紀になって禁 止され、そして、コンパゲーターたち−−起訴陪審のメンバーによって、裁かれるこ とになります。
 しかし、やがて、審理する者が起訴し た同じ人々であっては不公平であることに気づいて、新しいメンバーが加えられるよ うになりました。
 さらには、全く新しい陪審員を選んで 裁判するようになり、これが審理陪審を形作り、こうして起訴陪審と審理陪審は別々 の発達経路をたどったのです。
 −−起訴する者に、審理をさせない。
 これは非常に重要で、この一事を以て しても、わが国の裁判制度より進んでいることが分かります。

 戦前の刑事裁判は、法廷に大きな菊の 紋章があって、その下で裁判官は正面の高い雛壇に坐り、天皇の名において裁判を行 いました。
 検察官も裁判官と同じ雛壇の隣にい て、ずっと低い正面の席に被告人が坐り、その脇にいたのが弁護人です。
 検察官は下にいる被告人を見下ろし、 ほとんど発言しませんでした。公判の始めに、
「起訴事実は起訴状に書いてある通り」と言い、公判の終わりに、
「懲役何年が相当」と述べ、後は裁判官の動きをじっと眺めているだけだったそうです。
 裁判官の手許には、検察官が提出した 調書や捜査機関の集めた証拠物がおいてあり、裁判官はそれらを基に被告人を尋問 し、証拠調べをするだけでした。
 これでは、裁判官は検察官寄りになら ざるを得ず、捜査記録を確認するだけの作業になります。
「裁判所は警察や検察庁の親類筋か」 と疑われたのもむりはなく、「公判は天皇の閲兵式ですぞ」と叫んだ被告人もいたそうです。
 戦後、日本は民主国家となり、憲法や刑事訴訟法も生まれ変わり、表面的には人権保障に厚い、なかなか立派なものになりました。
 拷問は禁止、黙秘権は保障され、検察官も雛壇から下りて弁護人と向かい合って坐るようになりました。
 当事者主義になり、訴訟の主導権が当事者にあって裁判所は介入しないのが原則ですから、これで裁判は裁判官や検察官の勝手にならず、国民は安心して裁判が受けられるようになりました。
 だが、それは建前の話で、捜査の体質は少しも変わらず、違法な取り調べは戦後半世紀を経ても依然として行われています。
 刑事裁判も戦前の古い体質を色濃く残 し、検察官司法・調書裁判の弊害は今なお後を断ちません。江戸時代のお白州とあまり変わっていないのです。

 陪審に話をもどし、起訴陪審と審理陪審の違いを考えてみましょう。
 起訴陪審は一般に人数が多いので大陪審と呼ばれ、審理陪審は人数が少ないので小陪審と呼ばれます。
 現在、大陪審は12名から24名で構成され、被疑者を裁判に付すべき充分な証拠があるかどうかを判断します。調査機能をもち、起訴を決定する刑事訴追的な役割を果たします。
 なぜ、このような制度が必要かといえば、起訴されると、最終的には無罪になっても、その間、被告人は社会的にも心理的にも大きな不利益を被ります。根拠薄弱な訴追を最初のうちに排除しておくことは、非常に重要です。
 公衆訴追主義を原則とするイギリスでは、1933年に廃止されましたが、アメリカでは多くの州が維持しており、政府や政治家の腐敗を摘発させている州もありますから、日本にこそ欲しい制度です。
 ふつう、陪審と言えば、裁判の審理を行う小陪審を指します。12名の市民によって構成され、偏見を持っていたり、当事者と関係がある人は、裁判官・検察官・弁護人の尋問をうけた後、免除されます。理由がなくても除かれる場合もあり、専断忌避と言いますが、数が限られます。
 このように、陪審は本来イギリスで中世以来発達してきた制度ですが、これがアメリカに受け継がれていった背景にも、目をやってみましょう。
 1776年、イギリスが確保した北アメリカ植民地は、本国に叛乱を起こして独立を宣言し、83年にイギリスから独立し ました。
 その独立戦争を戦った時、英国に取り上げられていた陪審制度を勝ち取り、再び確立しました。
 革命前は、天皇の名による裁判と同じく、女王陛下の裁判官による裁判でしたが、アメリカ人民はそのような権力的、独裁的な審判を拒否し、自らの司法制度に発言権をもつことを絶対的に必要だと考えました。
 アメリカの民主主義のもとでは、裁判官は一般民衆の選挙によって選ばれます。しかし、そうして選ばれた裁判官であっても、大きな権力を背にしていますから、国民の意思から離れないよう、民意を反映し、市民自らが有罪・無罪を決める陪審の存在を重視したのです。
 −−権利は戦いによってのみ守られ、 実現せられる。
 イェーリングのこの言葉は真理です。

 わが国では、大正デモクラシーの洗礼 をうけ、江木衷、花井卓蔵らの優れた先達たちが論議を重ね、大正12年、陪審法の 制定にこぎつけました。
 しかし、不幸なことに、軍国主義の時 代に遭遇し、太平洋戦争の激化に伴い、戦争が終わるまで停止となりましたが、戦後 50数年経っても政府は公約を果たそうとしません。
 現在、司法改革が叫ばれているにもか かわらず、政府や裁判所は無数の冤罪事件に何の反省もなく、陪審制はわが国情には 合わないなど詭弁を弄して、再施行を回避、国の司法制度に市民の発言権を封じてい ます。
 裁判所法に明記されながら、陪審裁判 による権利を国民から奪い取り、自分たちの既得権を手放すまいと国民を欺瞞してい ます。

 アメリカ合衆国憲法は、二百年の歴史 をもち、刑事・民事を問わず裁判に関する国民の権利を保障しています。
 陪審制度は、憲法の下で大変重要な権 利であり、民主主義は選挙制度と陪審制度を車の両輪としています。
 政府が、国民に投票することと併せ て、陪審員を務めることを求めているのはそのためです。
 先頃、最高裁泉前事務総長が、陪審で は真実主義が後退するだの、負担が国民にかかり過ぎてわが国には向かないと発表し たのは怪しからんと思います。
 国民が社会の制度に参加するのは当然 であり、これを「負担」というのは陪審制復活から目をそらせようとする意図が見え 見えです。
 つい先日の最高裁の参審制についての 提言は、国民の司法参加を認めないと裁判所の信頼を保ち得ないという心配から、形 だけは素人裁判官を入れ、ただしその意見は聞きおく程度にするというのは、国民を バカにした話で、憤慨にたえません。

2   

 日本復帰前の沖縄で、僕が米国民政府 高等裁判所の陪審員を務めたのは、もう36年も昔、それも証拠調べに8日、評議に 3日のわずか11日間にすぎません。
 当時、僕は小さな会社の社長で、本社 を横浜に置き、新たに支社を設けた沖縄との間を往復し、余暇はゴルフに明け暮れ、 ワインの美味追求が生き甲斐といった、あまり芳しからぬ生活をしておりました。
 一般市民にとって、刑事裁判は無縁で あり、専門の学問と経験を積んだ裁判官がきちんと正義を実現してくれているから、 国民がいちいち心配しなくても、安心して任せておけばよい−−そんな安易な信頼感 をもっておりました。
 ところが、たった一度、陪審員として 裁判に関わりあったことから、僕の体内で何か目に見えない大きな変化が起きまし た。そう意識したのではなく、後になって気づいたことです。
 陪審制度について、はっきりした理解 や信念をもっていたわけではありません。小説を書く暗中模索の過程に、僕は少しず つ変わって行ったように思うのです。
 あれほど好きだったゴルフも、反社会 的な料金が気になり、ハンディ3を維持し難く、止めてしまいました。
 止めなかったのは酒ですが、日本の刑 事裁判のあり方に、次第に目を向けるようになり、外国へ行けば、裁判所や警察署な どを見て、比較してくるようになりました。
 給与を国民の税金でまかなわれている 裁判官や検察官、警察官など、司法に携わる公務員たちが、どのように職務を果たし ているか、規定に従ってきちんと行動しているか、傍からでも見学しておきたい気持 ちからです。
 そういう監視の目、例えばカルフォル ニア州バークレーの「警察審査会」のようなチェック・システムが市民にあれば、わ が国でも新潟県警や神奈川県警の不祥事は、起きる余地がなかったでしょう。
 このように、陪審制度には、僕のよう に遊んでばかりいた怠け者も含めて、司法への一般の人々の関心を高め、国民に対す る教育的機能があると、ウィグモア教授が指摘しています。
 民主的な司法制度は、国民の意思を反 映すべきであり、それにタッチする人間が多ければ多いほど、国民の司法意識は高ま り、公民義務を果たすのは当然と考え、非民主的な司法のあり方を許さなくなるから です。
 フランスの19世紀前半の自由主義を 代表する政治学者トクヴィルは、
「陪審は国民性に重大な影響を及ぼし、 裁判された者への尊敬の念と、権利の理念を普及させる。人々に公平無私を実行する ように教える。人々が社会に対して果たすべき義務をもっていること、そして、社会 の政治に(自分たちが)入り込んでいることを感じさせる。
 陪審は人々に私事以外のことに専念さ せるように強いることによって、社会の黴(カビ)のようなものである個人の自己本 位主義と闘う。
 驚くほど人民の審判力を育成し、その 自然的叡知を増大させる。これこそ、陪審の最大の長所である」
 と礼賛しています。
 僕のように法律に無関心だった人間に も、
「自分こそ国政の主体であり、主権者で ある」
 という心の中に眠っていた意識を呼び 起こしてくれたことが、何よりの証拠だと思います。
 陪審は、民主主義の学校なのです。無 料で、いつでも開いている、そして自分の権利を自覚し、他人の権利を尊重すること を教えてくれる素晴らしい学校です。
 
 僕たちが審理した事件は、1964年8月、沖縄本島宜野湾市普天間で起きました。
 1人のアメリカ海兵隊員が殺され、1人が傷害を負いました。米兵2人に喧嘩を売られた帰宅途中の2人の地元の青年と、これを止めに入ったもう2人の青年が逮捕され、新聞は4人が犯行を自白したと報じ ました。
 米国民政府裁判所大陪審は起訴を決定、審理を小陪審に委ねました。400人あまりの有資格陪審員の中から、わずか12 人を選ぶのに、法廷は4日間もかかっていますから、人選は非常に難航したのでしょ う。有罪か無罪かを勝手に決めてしまっている人、偏見のある人などは、裁判官・検 察官・弁護人が質問した後、除外されます。
 選定が終わると、法廷は休憩もせず、 直ちに審理に入りました。
 検察・弁護双方の冒頭陳述が始まり、 それぞれの証拠を出し終えますと、最終弁論を陪審席の前で終えます。その後で裁判 官が問題について適用すべき法を説示し、そして陪審員は別室に退き、評決という順 序です。
 裁判官の説示を聞いて、まず驚いたのは、裁判官の役目が事件に適用される法がどういうものかを説明し、法廷に提出される証拠を許容すべきかどうかを決めるだけで、証拠が真実のものか、その主体的な判断、それに基づく有罪無罪の重大な決定権が裁判官にはなく、陪審に委ねられていることでした。
 どの陪審員にとっても、これは新しい経験です。それまで、このように大きな公権力の行使に携わったことなど一度もありませんから、当然みな緊張します。
 最初のうちは、被告人たちの顔を見ても、どうもみんな怪しい、新聞には自白したと出ていたし、検察もしっかりした証拠 があって起訴したのだろうから、有罪に違いないと、単純な先入観・予断にとらわれ ていたのは事実です。
 この時点では、陪審員の方が裁判官より、偏見をもっているようにも思われます。
「厄介なものに関わり合ってしまった」
 と負担に思い、早く終えたいという思 いは誰にもあったと思います。
 しかし、自分たちが証拠を判断し、有罪無罪の重大な決定をしなければならないとなると、陪審員は次第に真剣に、そして慎重になってゆきます。被告人の運命を左右する、文字通り生殺与奪の権を握っているわけですから、有罪だという証拠をしかと自分の目で確かめよう、また無罪の証拠 も等しく見逃すまいと、一所懸命になります。
 無罪推定の原理など、陪審員は知りま せんが、初めての経験なので、自然にそういう公平な態度で裁判を見守ります。
 一方、日頃から犯罪人を見慣れている裁判官は、無罪推定の原理を忘れ、被告人を有罪方向の目で審理しますから、誤判が生じるのです。
 陪審法廷では、12人の市民が関与するので、間をおいてダラダラ時日をかけてやるわけにはいきません。証人の記憶も曖昧になりますから、連続して審理を進めます。
 素人が相手ですから、事実問題についてはこういう争いがある、法律問題についてはこういう主張がある、と争点を絞り、関連証拠を集中させます。
 検察・弁護双方が、口頭で意見を述べ合い、いわゆるこれが公判中心主義・口頭主義・直接主義で、わが国の裁判も当然これを守るべきなのに、「調書裁判」に堕落しています。

 陪審制度は、非常に精密な証拠法を作らせました。伝聞証拠はきびしく排斥されます。
 事実を証明するには、直接その事実を見たり、聞いた人を法廷に召喚して証言させるのが原則です。例えば、
 AがBを殴ったことを証明するには、「AがBを殴るのを見た、とCが言っていた」
 というDの証言ではダメです。目撃者 であるCの証言でなければなりません。

 みなさんは、アメリカのテレビや映画 などで、警察官が被疑者を逮捕する時、ミランダ告知というのを行っている場面をご 覧になったことがあるかと思います。
 逮捕の前に被疑者の権利を知らせておかねばならないのです。

 君は黙っていてもいい権利がある。
 君の言うことはみな法廷で君の不利に使われることがある。
 君は弁護士と話して助言を求める権利 があり、取調中いっしょにいてもらうことができる。
 弁護士を雇う金がなく、希望するなら、取調の前に国費で一人つけることができる。
 もし、弁護士の立ち会いなしに質問に 答えることに決めても、君はいつでも止めてよい権利がある。弁護士に話すまで、質問に答えるのを止めたくなれば、君にはいつでもそうする権利がある。

 以上のような告知ですが、被疑者の権利を実質的に保障するため、アメリカ合衆国最高裁が定立した準則で、尋問の前に被疑者の権利の告知を相手に分かる易しい言葉で説明しなければならず、捜査官にこれを義務づけ、これに反して得られた供述は証拠とすることができません。
 被疑者を取りまく警察や検察の状況は、日本もアメリカも変わりません。変わるのは、憲法に規定される人権が、実質的に保障されているかどうかです。
 英米ではその点、代用監獄の廃止すら未だできないでいる我が国とは、比較になりません。陪審裁判では、被疑者の身柄を拘束して強制して得た自白を、検察官は証拠として使うことが許されません。
 裁判官も陪審員に、自白の任意性に疑いがある場合、証拠にはならないむね説示します。
 ですから、検察官が自白調書を法廷へ提出して、裁判官がこれを証拠として認めても、陪審員が任意性に疑いをもてば、自白は何の役にも立ちません。
 陪審は通常、捜査官が作成した記録を読んではならないのですが、僕たちは読む機会を与えられました。しかし、被告人たちはいずれも、公判廷で犯行を否認していますし、自白調書の任意性・信用性が問題になりました。
 本来は、わが国の刑訴も起訴状一本主義をとり、裁判官に予断を持つことを禁じているわけですから、事実を証明するに は、先程述べたように、直接その事実を見聞きした人を法廷へ召喚して、証言しても らうのが原則です。そして、任意性に疑いのある供述調書を裁判の入口で排除してお くことは、数々の冤罪事件の例をあげるまでもなく、非常に重要なことです。
 僕たちは評議の席で、裁判官が証拠能力を認めて、証拠というレッテルが貼られた検事調書を再び問題にしました。
 そして、問題にしたのは、自白そのものではなく、調書の任意性、つまり証拠としての適格性でした。
「もし、任意性に疑いがあるのなら、それを証拠として見てはならない」
 という裁判官の説示と証拠法則に陪審は忠実なのです。
 警察の留置場に入ったことはないけれど、実態を市民は漠然と知っております。そうして得られた自白調書に、無意識のうちに「不任意性を推定」しています。この点は、法律を知らない市民の方が常識的で、自白調書の任意性の問題を厳格な証拠能力の問題として考える点など、裁判官より法律的と言えるでしょう。

 こうして陪審は、公判に出される生の証拠を眼前に見て、生の証言を直接聞き、その言葉だけでなく、証人たちの態度か ら、そこから浮かび上がるものを見て取り、さらには交互尋問の質問と応答との微妙 なニュアンス、身振り、態度、その他から、自由な心証を形成して、事実を判断して行きます。
 評議の席では、自白調書を読んだため、最初のうちこそ検察官の主張に偏った評議の展開となり、難航しました。
 しかし、結局は、自白調書の任意性も信用性も認めないで、物証も犯行と被告人を結び付けるものではないとして、無罪を答申したのです。
 有罪とする証拠に疑問が残れば、無罪を答申するのが陪審の義務であり、社会に対する責任なのです。
「誰が真犯人か」という声もありましたが、被告人が真犯人かどうかは、陪審に課された仕事ではありません。
 シンプソン事件がその例ですし、では何故民事賠償では有責とされたかと言えば、刑事では高度の立証が要求されるのに対 し、民事では証拠の優劣が判断基準になるからです。
 被告人がクロか、クロではないか、真 犯人とする検察側の証拠に合理的な疑いがあるか否か、これをチェックするのが陪審 の役目です。



 陪審裁判の意味について、40数年も 昔のことですが、アメリカを旅行中、ラジオで聞いたキャプラン教授の説明をはっき り記憶しています。

Jury trial on the criminal side means this: that before a man's life or freedom or reputation is taken from him by the state, his guilt, and the degree of it, must have been made manifest not merely to the professional mind but to the man on the street -- or rather to twelve such men speaking with a single voice.

「個人の生命や自由、あるいは名誉を国 家が奪う前に、犯した罪とその度合いは、ただ法の専門家の心に明らかにされたとい うだけでは足りず、市井の凡人、いやむしろ、そういう人たち12人全員の目に明ら かになった場合でなければならない」
 ということなのです。
 キャプラン教授は、そこで、もう一つ の重要な点にふれています。
「注意してほしいのは、無罪の評決は全 く動かし得ないことです。有罪の評決は、明らかに不合理であれば、破棄できます。 ここに、陪審が全体として被告人に対する二重の安全弁の役割を果たし、素人の判断 を職業裁判官の助けとすることが長期にわたって刑法の満足のゆく適用を確保し、何 よりも、手続きに対する社会の信頼を支えている理由があるのだと思います。極端な 場合には、法の名の下に行われる国家権力による人民の迫害に対する障壁となること もあるでしょう」

Observe again that a verdict of acquittal is wholly immovable; a verdict of guilty may be undone if plainly unreasonable. There is, I think, ground to believe that the jury, operating on the whole as an additional procedural safeguard to the accused, and bringing lay judgement to the aid of the professional, does over the long run help to secure a satisfactory application of the criminal laws and, above all, to sustain public confidence in the process. In an extremity the jury would stand as a barrier to official persecution under the forms of law.

 陪審制度は、欧米において正義の中心 をなし、重大な否認事件について不可欠とされています。それは、職業裁判官だけに よる裁判では、無実の者が有罪にされてしまう危険が大き過ぎ、事実を判断するには どうしても市民の常識が必要だからです。
 すでに大正時代、花井卓蔵がこの制度 の本質を見通しています。
「人の良心は、法律よりも明快な解決を 与えるもの、人の良心には常識が宿っている。常識は実験的真実で、この常識によっ て事実を認定し、これこそ陪審制度の根本観念である」
 多くの裁判官や検察官、法律学者にと って、陪審員とは、偏見の固まり、騙されやすい、証拠の判断能力などない、無教 養、無教育の人々としか目に映らないでしょう。
 しかし、陪審は同時に、多くの裁判官 や法律家を驚かせてもいます。
 社会正義の理念を立派に実現するだけ でなく、人間の事実についてすばらしい洞察力を発揮するからです。陪審は実に多く の事柄を語ってくれます。
 人の言うことに耳を傾け、自分の意見 を主張して、その評議の末、誤った見方は濾過され、偏見は破られ、正しい意見のみ が最後に残ることを、みなさんは今日の劇を見て納得されることと思います。
 
 さらに、陪審制度の美点は、司法のコントロールが支配者の手にはなく、被支配者、民衆の手にある点でしょう。
 アメリカの軍事支配下に、米軍側が被告人を罰しようとしても、我々12人の陪審員の心までは支配できませんでした。
 陪審を司法制度とばかり見ずに、政治制度ととらえる必要があるのです。
 アメリカでは、
「大統領といえども、立ち入ることのできないのが陪審だ」
 と市民が胸を張って答え、イギリスでも、有名なデヴリン判事が、
「暴君の第一の目的は、自己の意思にま ったく従順な議会を作ること、第二の目的は陪審裁判を廃止、もしくは減少させること」
 と指摘し、その理由は、
「いかなる暴君も、主体の自由を12名の国民の手中に置くことは不可能で、陪審は裁判の機関以上のもの、憲法の車輪以上のもの」だからです。
 わが国にも、陪審制度が復活して初めて、同胞である刑事被告人の権利を、国民自らの手で守ることのできる日がやってくるでしょう。
「陪審は自由が生きていることを示す灯です。その灯は、国民が自らの手で点けなければならなりません」
 デヴリン判事のこの言葉を再び噛みしめて、僕の話を終えたいと思います。(いさ ちひろ)

2000年9月12〜15日 劇団「阿修羅」公演にて 



陪審裁判を考える会
東京都新宿区歌舞伎町2−41−12 岡埜ビル7階 IP国際技術特許事務所
TEL03−5273−7695

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